戦争孤児の心の傷の寓意、または反戦映画の大傑作(学校推薦)
監督:ジョゼフ・ロージー
緑髪の少年:ディーン・ストックウェル
エヴァンス博士:ロバート・ライアン
この映画はメタファーに富んでいて素晴らしい。反戦思想を少年に託しているのだが、反戦の思想のその象徴の緑の髪を周りの人間がよってたかって弾圧するのが、ものすごく寓意である。
また別の視点では、戦争孤児と言う弱者を叩くのも、これも人間の普遍的な真理であろう。
日本の卑近な例を挙げると東日本大震災で福島から避難してきた人への差別、コロナにかかった人を叩く、近所に福祉施設ができると住民の反対運動等。こう言うものは良い・悪いではなく、普遍的な人間心理の表れである。
またこの映画はジョゼフ・ロージー個人に重ねて見ることもできそうである。あの赤狩りの時代に出重ねると、映画の中で緑髪の少年が、少年たちに森の中で集団リンチになりそうなシーンがある。その集団リンチの面子にメガネをかけた子供がいて、緑髪の少年を追跡中、メガネを落として何も見えないと叫ぶ。落ちたメガネを緑髪の少年が敵に渡すのだが、メガネを取り戻すやいなや、そのメガネ少年は自分を助けてくれた緑髪の少年を裏切る。ハリウッド・テンと言う思想運動を借りた集団ヒステリーを描いているとも言える。
注目したシーン
・緑髪の少年がわざと花瓶を割り、お爺さんを試すところ
→ 子供(ある程度大人でも心に傷の深い人間)は、自分を包んでくれるか人を試すと言う心理の表現
・森の中の戦争孤児との出会い
→ 社会から異端であると言われても、苦しんでる者たちの声を聞き、使命感を持つ、反戦メタファー
・牛乳屋の錯乱
→ 一見いい人はすぐ豹変。正義より、金。
少年の救い
少年は緑髪の平和主義者になり、異端審問を周囲から受けるが、彼には祖父と学校の女性教師の見方がいたことが救いだった。何故かここで自分はディケンズの「大いなる遺産」の囚人や、「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャンを思い出してしまった。
おそらく、現実はあのような少年の境遇におかれたら、多くは見捨てられるであろう。そのような境遇にいる人が、もし、このブログを見てたら、くじけないで欲しい。自分はそのような人には卑怯ながら何もできない存在ではあるが、苦しい孤児同然から歴史上頂点に出た人物を紹介するので、その人達を目指して欲しいとしか言えない。その人物とはアントナン・カレームとマラン・マレーである。
終わりに
緑髪の少年を演じたディーン・ストックウェルが約35年後にヴィム・ヴェンダースの「パリ・テキサス」の主人公の弟役で出演してるのも興味深かったこと、またジョゼフ・ロージーは約25年後、ユダヤ人の大量検挙事件のヴェロドローム・ディヴェールを扱った「パリの灯は遠く」 の監督をしている。
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